管理人の部屋

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episode 3

こんにちは、管理人のUtena Kobayashiです。

この小部屋ではわたくし、ひっそりと綴っていきたいとおもいます。

 

では4回目の綴り、今回のテーマは「おんがく」です。

 

6月2日、代官山ティーンズ・クリエイティブにて、「お ん が く 物語と音楽 」というアートスクールをさせていただきました。

小学生2名と大学生5名の7名と過ごす2時間のワークショップ。

 

1、花の咲く無音の映像を見る

2、その映像に物語を考え紙に書く

3、一人づつ発表する

4、そこからみんなで話し合ってひとつの物語をつくる

5、その物語を元に音楽をつくる

6、映像と合わせて鑑賞

 

このような行程で進んだワークショップ。

 

なんの変哲も無い花の映像に、こんな物語が生まれました。

 

”砂漠の土地に咲く花DT21は、咲いたら一晩で枯れてしまいます。咲いたときから死に向かうのです。花はそれを悲しんでいます。私たち8人は花を楽しませるために、ミカンパーティという名のお葬式をひらきます。一晩中、花のそばで歌ったり踊ったり、楽しんでもらえるよう朝まで過ごすのです。そして我々は花に捧げるように音楽を奏でます。”

 

ということで、この花に捧げる音楽をみんなでつくることになりました。
ここまで1時間ほど。

残りの1時間はいろんな楽器をどんどん録音して、ミカンパーティの音楽が完成しました。

陽気で、生命力に溢れた音楽。

 

普段わたし自身では絶対につくれない音楽があっという間に生まれました。

この音楽ができたことで、無音だった映像(それは脳内でも映像が流れないような)が、花の映像だけでなく色んな景色が脳裏に浮かぶようになりました。

 

 

今回私が伝えたかったことは、音楽をつくること、映像に音楽をつけることだけが大事なことではなく、目に見えない部分(物語)が大切だということ。それを想像することが大事だということでした。

 

しかしながら、わたし自身が学び体験することが圧倒的に多い時間になりました。

想像力を共有することの楽しさ、愛おしさです。

そして7名の素晴らしい発想や考察、演奏や行動にただただ感動して、誰よりも楽しい時間を過ごさせていただきました。

 

 

さてここまでがリポートです。

ここからは「おんがく」をテーマに綴って締めたいと思います。

 

時代なのか、経験なのか、年齢なのか、その全てかもしれない。「おんがく」という存在は変化し続ける。

ここ数年は特に変化を感じる。

非常につっぱっていた20代と比べると、自分でも驚くくらいにその定義はひろがっている。

下手をしたら全ての事象が愛おしく感じてしまいそうだ。しかしそれを恐れる自分がどこかに存在する。その狭間で抗うこともなくふらふらと漂い歩んでいるような気もする。

「おんがく」とは人生ではない。しかしながら「おんがく」を通してなにかを想像することは人生であろう。

 

 

それではまた!

 

 

代官山ティーンズ・クリエイティブ フォトレポート

https://daikanyama-tc.com/news/20210612.html

 

完成した作品がこちら

instagram @daikanyama_tc

 

 

2021.6.14

episode 2

こんにちは、管理人のUtena Kobayashiです。

この小部屋ではわたくし、ひっそりと綴っていきたいとおもいます。

 

では3回目の綴り、テーマは「ひとりごとvs斧で耕す心の畑」です。

 

 

ひとりごとをメッセージにして送ってくるAさんという人物がいます。

Aさんはまるでダークサイドの使者のように、ものすごい角度からこちらを睨みつけ、斧のかけらを怠そうに投げてくる。

そしてAさんが耕したい畑を私は所有していない。

なんとAさんが耕したいのは私の知人の畑である。

 

自我をどれくらい保ちながらひとりごとを発するか、はたまた畑に出かけていくかは人それぞれであるように、斧のかけらを避けようが掴もうがそれもまたこちらの自由である。

 

だから私はスルーしている。

 

しかしそんなAさんもごくたまに、「ああそうだよね」という言葉を綴ってきたりする。

今回はこの「ああそうだよね」から派生したひとりごとを綴りたい。

 

人の言動というのは、動機次第でいかようの意味をはらんでいる。

言葉になった部分に共感しても、出発地点が全く異なることは少なくない。

だがしかし、その出発地点までお尋ねして現地調査を行うのもまた一苦労だったり、お邪魔かしらと気を遣ったりとややこしい。

 

人間は共感する生き物であるからこそ、絆が生まれる。

自然の摂理のようには共感はやってこない。海に波が寄せるように、共感はやってこない。

共感とは人工物である。

(地球に存在する人工物の中でも、美しいものランキング上位にはいるのではないだろうか。)

 

しかしながら、ダークサイドに共感すると行き止まりにぶち当たる。

いづれ出口の無い部屋に連れて行かれてしまう。

 

斧は自分の心の畑を耕すためにつかい、自分が心踊る方に共感していけたら、作物も美味しく実るかもしれない。

 

 

ではまた今度!

 

 

2020.12.02

episode 1

こんにちは、管理人のUtena Kobayashiです。

この小部屋ではわたくし、ひっそりと綴っていきたいとおもいます。

 

では2回目の綴り、テーマは「悲しみ」です。

 

 

「Darkest Era」では悲しみをテーマに3つの物語を描きました。

 

なぜ悲しみがテーマになったのか、それはHIHIHIから繋がるときに発生したものではあるのですが、偶然たどり着いたわけでは無いのです。

それは遡ること10年ほど前に、歩きながらふと思った「悲しみを武器にしない」という言葉が私の念頭にずっと、頭の右上の方で居座っていたからであります。

 

これは一体どういうことかといいますと、悲しみというやつは人間をコントロールしてくるものです。そして段々と乗り移られて、ちょっと気を抜くと恐ろしく暗い曲が出来上がったりするのです。

これをやめましょうということで、私はメモに綴ったわけです、「悲しみを武器にしない」と。

 

しかし悲しいものは悲しい。さてこの気持ちとどう生きていくか、そうして生まれたテーマが「希望のある受難」「笑いながら泣く」であります。

ものすごく噛み砕いてしまえばそう、まあ色々あるけど生きようぜ!なのであります。

 

わたしはおそらくとても楽観的で、こんなテーマを持っていますが実際はとても陽気に生きています。

 

 

自分自身から生まれる悲しみは思ったよりも少なく、外からやってくる悲しみに影響を受けやすいタイプであります。例えばそう、映画。

みなさんは映画というものを、どれくらいの前情報を仕入れてから観ますでしょうか。私はがっつりと、極力、疑い深く、なるべくあらすじを読んでから観るのです。それは予期せぬ悲しみを避け、2時間後の自分をどん底に突き落とさないように先回りするためです。

 

 

悲しみを武器にしないように、悲しみを悲しみとして受け入れない、という方法には限界があります。
しかし今言えることは、生きてたらかなりいいことあるよね。であります。

 

「Darkest Era」はファンタジーですが、現実世界にいる自分には生を鼓舞するお話になっています。

 

 

それではまた今度!

 

 

2020.11.26

episode 0

こんにちは、管理人のUtena Kobayashiです。

この世界は創造主KTMDR-05とsemimarrowにより設計されております。

 

この小部屋ではわたくし、ひっそりと綴っていきたいとおもいます。

 

では記念すべき1回目の綴り、テーマは「階層」です。

 

昨年のわたくしはというと、ずばりオンラインゲームにどっぷりとつかり、生活のほとんどを「向こう側」で過ごしておりました。この話はまたこんど綴るとして、この1年でよく考えるようになったことが「階層」であります。

 

それは日常と楽曲を制作するとき、つねに胸を踊らせるテーマなのです。

今作「Fenghuang」の1曲目faiではまさに別階層へのワープを描いております。そしてエピソード0であるfaiに続く全ての楽曲が様々な階層をまとっているのです。

 

それらが自分の時間軸、世界線とは異なる物語であろうとも、階層化することでとてつもなく身近なものに変わるのです。

 

自分とそのまわりの全ての物事に階層がある。それは身近であり、別角度から見れば関係が無い、とも捉えられます。そこの選択は自由である、というところがポイントです。

 

 

今思うと、わたくしの制作テーマであります「希望のある受難」とは、まさに無意識下の階層化であったように思います。

今まさにこの制作テーマを解凍していく最中ですが、これらも「階層」とまじわり、出口を見出してくれることでしょう。

 

そして今まさに、あなたが目にしてくださっているこの画面も、階層によってつくられております。

 

 

それではまた今度!

 

 

創造主に敬意を込めて

10/27 Utena Kobayashi